ESSAY

ここでは、過去に僕が書いた徒然日記やエッセイを紹介したり、今語りたいことを書いていきます。


冬の足音に耳を澄ましてみる

すぐそばにいるようで「ま~だだよ」とかくれんぼのふり

風の中に冬の匂いを探してみる

思い切り吸ってみたら鼻の奥がツンとした

こうして日一日と秋はその装いを大地に落とし

身軽になった体で思いっきり伸びをし

ちいさく子守唄を歌いながらいつしか自分も眠りにつくんだろうな

I'm listening to the footsteps of Winter.


2018/11/7


勝負の世界とはなんて大変なんだろう。勝っても文句を言われることもあれば負けても称賛を浴びることもある。

今回のポーランド戦終盤のパス回しは、まだ星稜高校時代の松井が甲子園で5打席連続敬遠された時の反応に似ている。

それをすれば勝てるかというとそんな補償はないのだけれど、結果的に勝ち、でもどちらのケースもそれを潔しと認める人は多くはなかった。

プロというのはスポーツだろうが音楽だろうが演劇だろうが大切な時間やお金を使って観に来てくれる人がいて、その人たちを満足させなくてはいけないという使命があるように思う。あの松井の時も高校野球とは言え、これに当てはまる気がするんだけどな~。

スポーツで勝つ爽快感、すごい技を見せてもらった時の興奮、応援しているチームが勝った時の満足感。それぞれ快感だけど、たとえ負けたとしても「どちらも本当によく戦った!頑張った!涙出た!」という感動に勝るものはないかな、僕にとっては。

今のこの雰囲気を変えるには次の強豪ベルギーとの試合を必死に戦って勝利するしかないのかもしれない。

もしも優勝まで行くことが出来たとしたら、全てがその為の必然、このポーランド戦も結果的に素晴らしい作戦だった!と言われるだろう。

でも次で負けてしまったとしたら今後しばらく海外での日本戦はブーイングだらけになりそうだし、それはこれからの若い選手たちにも何かしらの影響は残るんだろうな。そして今後作戦としてのボール回しすらもやりづらくなるんだろうな。

話は甲子園に戻るけど、80回大会松阪のいた横浜高校とPL学園の試合、その後の明徳義塾との試合、あれには心から感動した。いまだに熱闘甲子園とかフルの試合もビデオで取ってあるよ♪

さぁワールドカップもいよいよ決勝トーナメント、気持ちを切り替えまたみんなで応援してあげようね。

今や正直”侍ジャパン”と素直には呼べない感はあるけど、日本チーム、力いっぱい一生懸命戦ってまた僕らに感動を届けて欲しい♪


2018/6/29


『ブルームーンと青い蝶』

夜桜の写真を使って小さな物語を作ってみました。

一枚ずつストーリーを追って読んでもらえたら嬉しいです♪


2018/3/31


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数日前まで満開に咲き誇り、その美しさで人々を魅了し幸せにし、でも今はこうして静かに時が過ぎるのを待つだけの桜の花びら達。

いつか自分達も枝から落ち、大地に還らなければならなくなる日もそう遠くはない。うん、それはちゃんと分かってる。

そんな花びら達を遠くから優しく見守り続けていた月は、あるアイデアを思いつく。


そう今夜はBlue Moon。月が魔法を使える特別な日なんだ!月は花びら達に魔法をかけた。

「Bleu Papillon Bleu Papillon」

月が呪文を唱え始めると不思議なことに、花びら達は蝶に姿を変え始めたのだ!


こんな光景を見たことがあるだろうか?

蝶になった花びら達は、初めこそ不器用に羽ばたいていたが、突然夜空いっぱいに広がり自分たちに魔法をかけてくれた月に向かって一斉に飛び立って行ったのだ。


そう、今夜はBLUE MOON...


(photos & story : Kyoji Yamamoto)



The world is wide. Let's be positive ! Let's be happy♪

2000年に書いた徒然日記です。

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徒然日記その二十八

昨日の夜空は澄んでいて、久しぶりに星が良く見えた。夜風も心地良い。

10年ほど前、僕はVOWWOWのメンバー達とL.Aに半年ほど滞在していた。

グリフィス・パークにある天文台から見える夜景が好きだった。「わぁー綺麗!!」と思わず口をついて出てしまう程、その星を散りばめたようなオレンジの光群には圧倒されてしまうが、一方この都市が、ありとあらゆる問題、矛盾を抱えた犯罪都市であるということも頭をよぎる。幸福の絶頂にある時、人は、世界は自分のためだけにあるような気がし、反対に不幸のどん底に落とされた時、周りの人々は皆幸せなのに自分一人がこんな惨めな思いをしているように感じてしまう。ひとつの曲をとっても、或る日はその中に喜びを感じても、又或る日、唯々悲しいとしか感じられないことだってある。そんな落ち込んだ時に夜景をよく見に行った。無数に輝くひとつひとつの暖かい光の中にも深い悲しみを、薄暗く見える部屋の中にもささやかな喜びを見出し、皆こうやって同じように生きているんだと思うと、何か気持ちが安らいでくる。人間は一人では生きていけない。悩みを抱えていない人間も唯一人として存在しない。眼前に広がる広大な夜景を眺めているうち、それまで心の全てを覆っていた闇が段々小さくなっていった。宇宙規模の時間からみると、ほんの一瞬で現れ消えていく我々人類だが、誰かに会いたい時、その1分1秒がとてつもなく長いと感じることだってある。もしかしてアインシュタインもそんなところから相対性理論のヒントを掴んだのかも知れない。

物思いに耽る秋である。

2000年10月25日  山本恭司


どこまでも青い静岡土肥の空と海。いつもこんな景色を見ていられたら気持ちもどんどん大らかになって行くんじゃないかな。

こんな日にこの場所に居られて良かったな。

あの時の気持ちを思い出すことが出来る写真ってやっぱり良いなと思う。

写真って風景を切り取るだけじゃないんだよね♪


歳を重ねるごとに故郷への思いが募ってくる。

この日の夕焼けは本当に綺麗だった。

子供の頃は、毎日のように夕方になると自転車をこいでこの湖を見にいったものだ。

まだ死の話をするには早過ぎるけど、100歳ライヴも無事終え、お迎えが来ることになったら、この宍道湖に散骨してもらうのもいいかな~なんて思う。

そんな場所がある、そんなことを考えられる余裕がある...そのことに感謝♪

I love Shinji-lake in my hometown. It might be a good idea to scatter my ashes in this lake some years after my 100 years old anniversary live♪

(photo : Kyoji)


また長めのひとり言を。


60年以上生きて来て、色んな人達との出会いがあった。幸せをもらったり上げたり、悲しみをもらったり与えてしまったり、様々な出来事を経験し、それなりに人を見る目というのも出来てきたつもりでいる。

僕は日本という国に生まれて本当に良かったと思っているし、これからもずっと愛していくと思う。

しかし、今日本を動かしているつもりでいる人達(彼等も操り人形に過ぎないかもしれないけど)そしてそんな彼等にまで従わざるを得ない更に下の先生と呼ばれている人達…、残念だけど僕は彼等のことを信用出来ないでいる。

僕の人を見る目を通しての判断だと、特にテレビでよく顔を見る上の方の人達、彼等の表情、発言、態度、どれを取ってもこの人は信頼できるだとか日本の将来を任せたい人達だとは到底思えない。

誠実さのカケラも見えないのだ。


自分に利益を与えてくれるからとか、同郷だからとか、そんな次元で物を考えるのはやめにしたいね。

そっちの世界でも真面目にやろうとしている人達はちゃんといると思うよ。

でも、僕は思うんだ。僕らみんな舐められてるんだって。

踊らされ馬鹿にされ切っているんだって...。

それでも尻尾を振り振り、言うことを聞き、応援している人達がいること、僕には信じられない。

以前も書いたことあるけど、思い込んだらそれを曲げない、それをポリシーと思ってる人も少なくないと思うし、別に僕がそれを変えろなんて言う権利もないです。

ただしその時々にベストなことってなんだろうって日々変わる情勢の中で考えることは大切だなと思っています。

個々の力なんてとても小さいし、大きな流れを変えるなんてそんな簡単なことではないと思います。

でも、一人一人の意識が高まるといつしかそれは大きな力となり得る、そこに僕は望みを持っています。

また書くけど、しがらみやこれまでの自分の考えを一旦白紙に戻して、ニュートラルな立場で物事を見られるようになるといいね。


2017年5月19日  山本恭司


また長い独り言を。
今日本は、ミサイル脅威とかとは全く別の危機的状況にあるような気がしてなりません。
そんな中、22日の投票日はライブがあるので、今日期日前投票に行ってきました。
選挙戦になると、現行の平和憲法を順守するか書き換えたいか、そう言うことをしっかりと具体的に言う政党が少ないし、メディアも敢えてそのことを避けているように思われますが、大国にどれだけ隷従しているかとか、危険な香りのする日◯会議との関係性や、リーダーの誠実性、比例名簿の上位にどんな問題を起こしたどんな議員を載せているか、おそらく当選後は守られないであろうリップサービス的公約や、候補者のルックスに惑わされることなく、正しい判断で清く正しい一票が投じられることを願います。
棄権や白票は、結果的に特定の政党を利することになります。
そして今回もまた、不正操作が疑われているムサシという票の集計システムが使われる以上、備え付けの鉛筆で書くのではなく油性マジック等を持って投票所に行った方が安心だと思います。
最後に、第二次大戦後ナチスの高官が語った言葉を記しておきます。ヒトラー率いるナチスドイツはこんな風に自国民をコントロールして戦争に向かわせたんです。
『国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。
簡単なことだ。
自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。
そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。
この方法はどの国でも同じように通用するものだ。』
日本国民が政治家やメディアに踊らされて軍需産業の手先となり、攻撃的な民族となりませんように。
流れを変えることは簡単ではありません。それでも一人でも多くの方に、良く考えてちゃんと選挙に行ってもらいたいなと願う今日この頃でした。
あ、念のため言っておきますが、僕は右翼でも左翼でもなく、この日本が大好きなごく平均的な一国民ですから♪

2017年10月16日


今日(2017/1/16)、ふと思ったことを書いてみました。

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We must learn from the history.

歴史は色んなことを教えてくれます。勿論勝者の作った歴史を鵜呑みにすることは危険でもありますが。

それでも学ぶべきことは少なくないんじゃないのかな♪

古舘さんには夜のヒットスタジオでもお世話になりました♪

ニュースをやって降板したことについては色んな意見もあるでしょうが、ここでは淡々と事実のみを語っていると思います。

https://m.youtube.com/watch?v=tpePeNLOyzs

友達でも何かのグループ同士でも国単位でも誰かを敵に見立てて団結しようとするあるいはさせたがる人達っていつもいます...。

そういう姿を見る度にガッカリします。

国くらいの大きな規模になると、そこには巨大なビジネス、利権、権力といったものが絡んでくるので、それが互いを利するものであれば表向きは国同士喧嘩をしてるふりをして実は裏では全て筋書き通り、ほくそ笑んでいる人達もいるであろうし、踊らされている国民はその演出にさえ気が付かないままいつしかそれをもっと煽り立ててしまうということも多々あると思います。

今一度ニュートラルな自分になって周りをよく見渡し、たくさんの情報の中から真実を見極める、みんながそうなれるといいですね。

僕もそうありたいと思います。


2017年1月16日




僕のギターへの思いを綴った2015年の徒然日記です。

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徒然日記その353

My guitar…she allows me anything I want to do. We trust each other and love each other. 僕は、ギターを単に弾くだけではなく、ピックを擦りつけ、ネックを叩き、アームを極限まで引っ張り上げたり、ありとあらゆることをする。表現したい気持ちに歯止めなど効かず、出したい音が出るまで妥協せず、人からすれば無茶とも言えるようなことまでやってしまう。そんな僕の衝動をしっかりと受け止め、嫌がりもせずに美しく歌ってくれるギター。いつしかそんな信頼関係を築き上げることが出来たんだなと思うと感慨深い。心を映し、人生を映し、同じ曲を何度演奏したとしても二度と同じプレイにはならない。自分の奏でる音で自分の今が分かり、対話し合うことで慰められたりもする。言葉こそ発しないが、ギターはいつしか大切な人生のパートナーとなっていった。あらためて感謝の気持ちを。

2015年8月18日 山本恭司


”湖都松江”に巻頭エッセイとしてこの文章を寄稿したのは2013年のこと。

あの頃はまだ父も元気で、親子三代LIVEを実現させたいなんて書いている。でも出来なかった...。「どうせそのうち出来るから」と高を括っていたのだ…。

「後悔する前に動く!」改めてこれを胸に刻んでおこうと思う♪

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湖都松江 第26号

ここ数年、以前に比べるとかなり頻繁に松江に帰るようになってきた。自分のコンサート、級友佐野史郎と一緒に演る小泉八雲朗読の夕べ、その他の仕事も含め色々なことでこの美しき故郷と繋がっていられるというのはとても嬉しい。

出雲空港から車に乗って宍道湖畔を走る。以前はそれ程意識していなかったが、湖上に目をやるとその水鳥の数に驚かされる。鴨、カイツブリ、サギ、鵜、カモメや海猫にまで出会える。僕は、子供の頃から夕方になると自転車に乗って宍道湖まで行き、その柔らかな水面にキラキラと大きなオレンジ色の姿を映しながら沈んでいく夕日を見るのが日課となっていた。僕の最も好きな光景は、空を勇壮に舞う鳶が、急降下して餌となる魚を捕まえる瞬間だ。何度挑戦してもハゼくらいしか釣ることの出来なかった僕にとって、50cmもありそうな大きな魚をその爪にしっかり食い込ませ、どうだと言わんばかりに飛び上がっていくその姿は憧れでもあった。先日も白潟公園まで歩いて行き、頭上を舞う数匹の鳶がいつものようにハンティングを見せてくれないかなぁとしばらく待っていた。降り続いていた雨は上がったものの、相変わらず雲は重く低く垂れ込めている。時折雲の切れ間から陽が差し、遥か彼方の対岸辺りに光のカーテンを作る。陽が落ちていくにつれてカーテンの裾野は広がり色も少しずつオレンジ色に変わっていく。その時、一羽の鳶が湖の方へ飛んで行った。「よしよし、行け!掴まえろ!」心の中で念じる。ワクワクしながら待っていた。しかし一瞬低く飛んだ鳶もすぐに踵を返し、又仲間達の待つ東の方へと飛び去って行った。ま、そういう日もあるってことか。僕がまだ小さかった頃も、こうして何年もこの地を離れている間も、彼らは何世代にも渡ってこういう何気ない一日を繰り返しているわけだ。何も特別なことは求めず、自分たちの存在理由なんていう面倒くさいことも考えず、ただ松江の空を飛び回り、意識もせずに一つの種としての役割を果たしている。人間も大昔はそうだったのかなぁ?なんて考えながら平らな石ころを探し、サイドスローで力一杯投げた。石は水面で大きくバウンドし、その後細かく7回くらい水を切った。ほんの一瞬だけど、景色が懐かしいモノクロームの写真に見えた。

実家に居る時は、子供時代と全く変わらず冬は炬燵に当たりながらただのんびりとゴロゴロしている。すると母が箪笥の奥から何やらいろんな物を取り出している。何と!僕の小学校時代の版画や作文だった。それも1,2年生の頃のやつ。遠足や前の晩に見た夢の話とかが書いてある。そんな事を書いたなんて全く記憶に無いが、何十年も前に埋めたタイムカプセルを開けたようで面白かった。更にデビュー直前のチラシや、いろんなシングル・レコードまで出てくる出てくる。フォーク・クルセーダースの“帰ってきたヨッパライ”、僕が初めて買ったロックのレコード、テン・イヤーズ・アフターの“I’m Going Home”、自分達バウワウの“絆Forever”も久しぶりに見た。驚く事にスーパージェッターやオバQ、そして音楽誌の付録のソノシートまでもが大事に取ってあった。「持って行くかい?」と聞かれ、レコード類だけは受け取ったが、その他のものは松江の家に置いて帰ることにした。きっと今度帰る時、また懐かしさと恥ずかしさの入り混じったあの箪笥の奥のタイムカプセルの中から更なる宝物と一緒にもう一度取り出してくれることだろう。確かあの中には当時の日記も残っているはずだ。

幼い頃の僕は、一度もこの町を離れること無く、ただじっとこの家の時間が止まった箪笥の片隅で暮らしている。時折訪ねて来る未来の僕を待ち続けながら。

さて、松江に帰ると年に一回は必ずすることがある。それは高校時代のバンド仲間達とのセッション(演奏ありの飲み会)だ。いつも10名以上が集まり、わざわざその為に隠岐の島から飛行機で駆けつけてくれる友人もいる。友人宅で開かれるこの集い、互いの顔を見たとたんにあの頃の自分、関係に戻っていく。いつも決まって最初に演奏するのは即興のブルースだ。12小節という決まったパターンを繰り返すだけのものだが、人はそこに人生を描くことが出来る。自由に言葉も使わず思いのまま奏でられる音楽、そこには隠しきれない等身大の自分がいて言い訳すら出来ない。音楽の素晴らしいところでもあり怖いところでもある。松江には、僕の高校時代から素晴らしいミュージシャンが大勢いた。みんな今でも楽器を持たせるととても味わい深いプレイをする。あれから40年という長い時を経てきただけに、今彼らの出す音には人生が宿っているのだ。しばらく会わなかった空白の時間にもみんなそれぞれに色んな苦労もして来たのだろうと思う。今こうして酒を片手に演奏し、音で互いのやってきたことを無言のうちに確かめ合う。優しさと笑顔、気の置けない仲間達と心地良い音楽、そしてあの頃にはなかった酒の酔いも手伝っていつも深夜までこの幸せな宴は続く。

僕の両親は今年で父94歳、母91歳となった。幼いころから父の弾く自己流の足踏みオルガンと調子っぱずれだけれど妙に乗りのいいハーモニカを良く耳にしていた。知っているメロディを少し崩しながら演奏するあの姿にきっと僕も少なからず影響を受けてきたに違いないと今になって思う。どういう曲でも自分の解釈を入れないと気が済まず、必ず即興部分を入れてしまうところなんてきっとそうだ。

そんな父と松江で開かれたコンサートで共演することが出来た。僕はギターを弾いて歌い父はハーモニカを。父がそっと”故郷”のメロディを奏で始めると期せずして会場中が大合唱となった。客席で見守る母。涙する人も多く、それは一生忘れることのない感動的な思い出となった。

僕をここまで育んでくれた両親と松江という故郷には感謝してもしきれないくらいの恩を感じている。今度は僕がどう言う恩返しを出来るか、それは今後奏でる音楽と活動から感じ取って頂けたらなと思う。そのためにも誠心誠意、精一杯の努力をしていくつもりです。そして近い将来、息子も含めた父との三世代ライブも実現させるのが僕の次なる夢。

また地元で演奏がある時は是非お寄り下さい。

ここまで読んで下さって本当にありがとうございました。

2013年5月 山本恭司


徒然日記その351

過去

過去に遡って何かを変えることなんか出来ないのに、想像の中で「あの時ああしておけば良かった…」と後悔し、現在の自分を苦しめることがある。過ぎ去ったことは過ぎ去った事実として残っているだけなのに、日々こうして新たな自分として歩き始めているのに、どうして思い出しては胸を痛めてしまったりするのだろう。

過去から学ぶ、それは決してネガティヴな考え方ではなく、未来へ向かっての教訓とすべく、とてもポジティヴな考え方と言っても良いはず。それでも何らかの形でそこにいた当事者としての自分のことを責めてみたり、あの一言さえ言わなければとか、あと1分そこに留まっていればとか、その想像のドラマの中でもがき苦しんでしまうのだ。そしてその後に訪れた未来を変えられたかもしれないのに…と、自分に都合の良いドラマを何度も心の中で再生しては、悔しい思いをする。

忘れ去りたい過去との決別、それには時間もかかることだろうし、予期せぬ事でふいに記憶を呼び覚まされることもあるだろう。

それでも、“未来に照準を合わせるべき”だと思う。後悔や自責の念は、まだまだ押し寄せてくることも覚悟する。それだってきっとこの先起きるだろう事実なのだろうから。持病と一生付き合っていかなければならないのと同じように、後悔する気持ちとも騙し騙しかもしれないが上手くやって行ける日も来るはず。

現に10代の頃の苦い思い出は、いつの間にか美しい思い出に変わってしまっている。赤面する程の大失敗も今なら笑って話すことも出来る。・・・時の魔法とでもいうのだろうか。

時には振り返ることも必要、でも未来はこれから作って行くことが出来る。変えることなど不可能な過去に縛られるよりは、これからいくらだって自分の思い通りに変えられる可能性を持った未来のことを思う方がずっと楽しいはずだ。

今日の、そして明日の笑顔の為に♪

2015年7月9日 山本恭司